歴史×共英製鋼

共英製鋼60年の歩み ~それぞれのSpirit of Challenge ~

昭和22年設立

昭和14年、大阪市の城東区古市において鍛工業を目的として設立された共英鍛工所を母体として、昭和22年8月に前身の共英製鉄(株)を創業。
戦後混乱期の中で「共英製鋼」はスタートしました。
また、当時の圧延作業は材料を「はし」で挟み、ロールにかみ込ます「箸取り作業」で怪我が絶えませんでした。

昭和22年設立

加工品分野への挑戦と地方ミニミル構想への道のり

昭和37年 佃工場が完成

昭和37年、神鋼商事との合併で、初の電炉工場である佃工場(現枚方事業所大阪工場)が完成(翌年、共英製鉄(株)として分離)。
当時は従業員自らが炉修を行うなど、懸命な努力が製造現場を支えていました。

佃工場が完成

昭和46年 枚方 一貫工場が完成

枚方 一貫工場が完成

昭和46年には共英製鋼の社運をかけた世界初の一炉一連鋳方式の枚方・製鋼工場が完成。
翌年には細物専用棒鋼ミルが完成、悲願の一貫工場(現枚方事業所枚方工場)が誕生しました。
枚方工場は「不可能を可能にする」という共英スピリットを遺憾なく発揮して創り上げた工場でした。

昭和48年~49年 山口共英工業 (株)、熊本共英工業 (株) の製鋼・圧延一貫工場が完成

山口共英工業(株)、熊本共英工業(株)

昭和48年から49年にかけて、山口共英工業 (株)、熊本共英工業 (株) の製鋼・圧延一貫工場が完成。
共英製鉄・佃工場も10トン、15トン電炉の2基体制から40トン電炉一基を備えた競争力のある工場に一変しました。

海外への挑戦と苦闘

昭和48年 オーバンスチール社 設立

オーバンスチール社 設立

昭和44年から海外への事業展開が本格的に実を結び始めます。
枚方製鋼工場の資金の目処が立った昭和46年の初め、当社はアメリカへ進出する方針を打ち出し、昭和48年オーバンスチール社を設立します。

オーバンスチール社 設立

しかし、2度に亘るオイルショックの影響で、共英グループは最大の危機に直面。
ブラジルのシデパール社、ジャカルタキョウエイ・スチール社、タイのチャンビリア・スチール社等からの撤退をよぎなくされました。
昭和52年、国内でも止むなく人員整理へと追い込まれたのです。更に、山口共英工業 (株)、熊本共英工業 (株)を手放し、古市工場の閉鎖等、共英製鋼は存亡の危機に陥りました。

海外への挑戦と苦闘

昭和50年

共英製鋼復活への道

昭和50年代後半から、共英製鋼は復活への道を辿り始めます。
昭和57年、住友金属工業に30%の出資を要請し経営基盤を強化。
資本金を4000万円から1億円へと増資しました。

昭和58年

第一製鋼 (株) の経営権を取得

昭和58年には、第一製鋼 (株) の経営権を取得。
「新生第一・コスト削減」のスローガンを掲げて徹底的な経営改善に取り組み、現在の名古屋事業所へとつながりました。

昭和63年

和歌山共英製鋼 (株) (現住金スチール(株)) を設立

昭和63年、住友金属工業 (株)・和歌山製鉄所内に和歌山共英製鋼 (株) (現住金スチール(株)) を設立。ジュニアおよびミドルサイズのH形鋼に進出しました。

メスキュード事業

同年、山口共英工業 (株) において、メスキュード事業がスタートします。
10数年の時を経て、当社の一翼を担う事業まで成長し、現在ではガス化溶融炉での処理も併せて、年間6万トンもの産業廃棄物を処理しています。

また、平成15年には「メスキュード医療安全基金」を設立しました。

平成2年

平成2年、共英製鋼の経営基盤の強化を目的に、共英製鋼 (株) 、共英製鐵 (株) 、山口共英工業 (株) 、第一製鋼 (株) 、和歌山共英製鋼 (株) のグループ5社が合併し、新生「共英製鋼」が誕生しました。

グループ5社が合併

平成3年

コラム分野へも進出

平成3年には事業の多角化を図るため、(株)今村製作所を買収し、コラム分野へも進出。
後の共英建材工業 (株) となりました。

平成4年

「フロリダ・スチール社」の経営権を取得

平成4年にはアメリカの大手電炉メーカー「フロリダ・スチール社」(後にアメリ・スチール社に社名変更)の経営権を取得。
共英製鋼より経営幹部と技術スタッフを派遣し、全力で経営改善に取り組みました。

「ビナ・キョウエイスチール社」の設立

同年、ドイモイ政策により対外開放策を打ち出したベトナムへ進出しました。
平成6年にはベトナム工業省との難交渉の末、合弁会社「ビナ・キョウエイ・スチール社」の設立がようやく認可されました。当時の圧延技術の集大成とも言うべき最新鋭の棒線ミルが完成、平成8年より操業を開始しました。

平成5年

関東スチールを設立

平成5年、相場製鋼・新冶工場を買収して関東スチールを設立。
関東地区進出を果たし、これにより、西は山口から、東は関東に至る全国区の電炉メーカーとなりました。

平成11年

備過剰にあった関西における電炉業界の構造改善を成し遂げる

平成11年、中山鋼業 (株) が会社更生法を申請。
当社は合同製鐵 (株) と共同して同社再建への道を歩みました。
その際、国光製鋼 (株) と合同製鐵の生産を中山鋼業に集約、設備過剰にあった関西における電炉業界の構造改善を成し遂げました。

経営の黒字化を実現

この頃、7年にもわたる赤字経営で拡大した1,000億円を超える債務と200億円もの不良債権の重圧に苦しむなど、共英製鋼は再び存亡の危機にありました。
夜間操業化によって減産・コスト削減を推進するなど、電炉業界の体質改善のモデルともなる改革を積極的に行ないました。

平成18年

平成18年12月19日、東証・大証一部上場

共英製鋼の長年の宿願がついに達成させる時がきました。
1970年代の2度に亘るオイルショック不況、85年のプラザ合意による円高ショック不況、そして、第二の敗戦と云われた90年代後半の未曾有の大不況を乗り越え、平成13年から7年連続で黒字経営を続け、1,000億円を超えていた債務を完済し、無借金を達成しました。
そして、平成18年12月19日、東証・大証一部上場を果たしたのです。
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