
昭和50年

昭和50年代後半から、共英製鋼は復活への道を辿り始めます。
昭和57年、住友金属工業に30%の出資を要請し経営基盤を強化。
資本金を4000万円から1億円へと増資しました。
昭和58年

昭和58年には、第一製鋼 (株) の経営権を取得。
「新生第一・コスト削減」のスローガンを掲げて徹底的な経営改善に取り組み、現在の名古屋事業所へとつながりました。
昭和63年

昭和63年、住友金属工業 (株)・和歌山製鉄所内に和歌山共英製鋼 (株) (現住金スチール(株)) を設立。ジュニアおよびミドルサイズのH形鋼に進出しました。

同年、山口共英工業 (株) において、メスキュード事業がスタートします。
10数年の時を経て、当社の一翼を担う事業まで成長し、現在ではガス化溶融炉での処理も併せて、年間6万トンもの産業廃棄物を処理しています。
また、平成15年には「メスキュード医療安全基金」を設立しました。
平成2年
平成2年、共英製鋼の経営基盤の強化を目的に、共英製鋼 (株) 、共英製鐵 (株) 、山口共英工業 (株) 、第一製鋼 (株) 、和歌山共英製鋼 (株) のグループ5社が合併し、新生「共英製鋼」が誕生しました。

平成3年

平成3年には事業の多角化を図るため、(株)今村製作所を買収し、コラム分野へも進出。
後の共英建材工業 (株) となりました。
平成4年

平成4年にはアメリカの大手電炉メーカー「フロリダ・スチール社」(後にアメリ・スチール社に社名変更)の経営権を取得。
共英製鋼より経営幹部と技術スタッフを派遣し、全力で経営改善に取り組みました。

同年、ドイモイ政策により対外開放策を打ち出したベトナムへ進出しました。
平成6年にはベトナム工業省との難交渉の末、合弁会社「ビナ・キョウエイ・スチール社」の設立がようやく認可されました。当時の圧延技術の集大成とも言うべき最新鋭の棒線ミルが完成、平成8年より操業を開始しました。
平成5年

平成5年、相場製鋼・新冶工場を買収して関東スチールを設立。
関東地区進出を果たし、これにより、西は山口から、東は関東に至る全国区の電炉メーカーとなりました。
平成11年

平成11年、中山鋼業 (株) が会社更生法を申請。
当社は合同製鐵 (株) と共同して同社再建への道を歩みました。
その際、国光製鋼 (株) と合同製鐵の生産を中山鋼業に集約、設備過剰にあった関西における電炉業界の構造改善を成し遂げました。

この頃、7年にもわたる赤字経営で拡大した1,000億円を超える債務と200億円もの不良債権の重圧に苦しむなど、共英製鋼は再び存亡の危機にありました。
夜間操業化によって減産・コスト削減を推進するなど、電炉業界の体質改善のモデルともなる改革を積極的に行ないました。
平成18年

共英製鋼の長年の宿願がついに達成させる時がきました。
1970年代の2度に亘るオイルショック不況、85年のプラザ合意による円高ショック不況、そして、第二の敗戦と云われた90年代後半の未曾有の大不況を乗り越え、平成13年から7年連続で黒字経営を続け、1,000億円を超えていた債務を完済し、無借金を達成しました。
そして、平成18年12月19日、東証・大証一部上場を果たしたのです。